肉によるイスラエルを見るがよい。供え物を食べる人たちは、祭壇にあずかるのではないか。
この法則に従って進む人々の上に、平和とあわれみとがあるように。また、神のイスラエルの上にあるように。
祭司たちのうちのすべての男子は、これを食べることができる。これは聖なる所で食べなければならない。これはいと聖なる物である。
祭司はこれを祭壇の上で焼かなければならない。これは火祭であって、主にささげる食物である。
あなたがたは、宮仕えをしている人たちは宮から下がる物を食べ、祭壇に奉仕している人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかることを、知らないのか。
かつ、割礼の者の父となるためなのである。割礼の者というのは、割礼を受けた者ばかりではなく、われらの父アブラハムが無割礼の時に持っていた信仰の足跡を踏む人々をもさすのである。
それでは、肉によるわたしたちの先祖アブラハムの場合については、なんと言ったらよいか。
御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、
罪祭も愆祭も、そのおきては一つであって、異なるところはない。これは、あがないをなす祭司に帰する。
あなたの穀物と、ぶどう酒と、油との十分の一および牛、羊のういご、ならびにあなたが立てる誓願の供え物と、自発の供え物およびささげ物は、町の内で食べることはできない。
わたしたちには一つの祭壇がある。幕屋で仕えている者たちは、その祭壇の食物をたべる権利はない。